豊葦原中つ国

小松島市は豊葦原中つ国とよあしはらなかつくにの首都だった。

日本神話(古事記こじき日本書紀にほんしょきが伝える神代の物語)によると、高天原たかまがはらの勢力(天照大神あまてらすおおみかみとその皇子である天孫てんそんたち)が、豊葦原中つ国の勢力(須佐之男すさのお命の子孫にあたる大国主おおくにぬし命や事代主ことしろぬし(N5)ら)に対し、国を譲り渡すよう使者を遣わし、三次にわたる交渉と攻防で国譲りが成立し、天孫の降臨こうりんが行われたと伝えられる。
その経過をたどると、
高天原から第一の使者として、天照大神の第二皇子である天菩比あめのほひ命が遣わされるが、葦原中つ国に着いたあと、大国主命にびつき、三年経っても復奏しない。

そこで第二の使者として、天若日子あめのわかひこが遣わされるが、若日子はほどなく、大国主命の娘下照比売したてるひめめとり、八年立っても復奏しなかった。そのため若日子は疑われ、高天原から送り込まれた刺客によって命を落とす。

次に高天原側では、第三の使者として建御雷之男たけみかづちのお神(霊剣の神・建布都たけふつ神)に天鳥船あめのとりふね神を添えて送り込む。これに対し大国主命・事代主命は国譲りを承諾するが、そのとき、大国主命の子・建御名方たけみなかた命が登場する。両者は力競べをすることになるが、建御名方命は、建御雷之男神に圧倒され、州羽海すわのうみまで追い詰められ、その地にとどまることを条件に許される。

こうして国譲り交渉は成立するが、国譲りとは、天孫勢力が、奪われた国土及び統治権を奪還する物語で、天孫が降臨したあと、事代主命が天孫に使え、やがて神武天皇じんむてんのうの即位へと繋がるのである。

右の国譲りの物語に登場する主役神(七神)は、すべて阿波国式内社(N10)として祭祀され、それぞれの鎮座地をたずねることで、物語の舞台、記紀神話の舞台が浮かびあがってくる。こうした神社の配祀は阿波一国のみ。

さてこの物語で、第一・第二の交渉となったのが、小松島市中郷町なかのごうちょうであった。当時、小松島市と西接する徳島市勝占町かつらちょう渋野町しぶのちょう丈六町じょうろくちょう多家良町たからちょうは、葦原中つ国の首都であり、国主の大国主とその子事代主命の本拠地でもあった。

もともと葦原中つ国は須佐之男命が支配し、その領域は小松島市南部から、以南の那賀郡・海部郡全域であった。やがて須佐之男命は、小松島市から徳島市の眉山に北上、続いて鮎喰川下流域の天照大神の首都に侵入し、さらに中流域の高天原(神山町)を破壊してしまった。須佐之男命の行為は、あまりにも暴逆で、高天原側からも、また、葦原中つ国の側からも、神に叛く悪行とみなされ、あまつ神くにつ神の祟りをこうむると恐れられたため、須佐之男命に罪をつぐなわせ、ひげを切り、手足の爪を抜いて、国外に追放してしまった。
その直後、本拠地(首都)を小松島市に置いたのが、須佐之男命の子の大国主命と、その子事代主命である。また大国主命は、父の高天原侵略に乗じて鮎喰川下流域を支配し、さらに吉野川流域の要所である徳島県西部の三好郡美濃地区(三加茂町)に、阿遅鉏高日子根あじすきたかひこね神(加茂大神)を派遣分治させ、吉野川中流域の要所である石井町高足たかしには同じく子の建御名方神を配置し、自らは国王を名乗ったのである。

これに対し、高天原の勢力(天孫)は、吉野川北岸の中・下流域諸部族を糾合きゅうごうして葦原中つ国の勢力を、鮎喰川下流域から押し返し、さらに勝浦川河口部を支配下に置いたというのが国譲りの物語である。

葦原中つ国を偲ぶ

そこで、国譲り交渉の舞台に今も残る神々の神蹟や神社、遺称地名などをたどり、「豊葦原とよあしはら千秋長五百秋ちあきながいほあき水穂国みづほのくにと称えられた葦原中つ国の首都を偲んでいただきたい。(N1)(N2)(N3)

1. 篠原しのはら郷(N14)

小松島市の中郷町・江田町・田浦町の一帯は、『和名抄』にもみえる古代「篠原」郷と呼ばれたが、「しのはら」は「葦原中つ国(あしのはらなかつくに)」の「あしのはら」から生まれた郷名といえる。

2. 中郷町・中ノ郷町

現在、「なかのごう」と呼ばれるが、「葦原中つ国」の「中つ国」が由来で、「なかさと(なかくにのもとのさと)または「中のくに(故国)」と呼び習わしてきたものが変化し、今日にのこったものであろう。「中つ国」とは、葦原の国の「中心」の意で、首都を表している」。

3. 豊ノ本とよのもと豊国とよくに

「豊葦原の中つ国」の「とよ(ほめことば)」を表した地名。後に豊臣秀吉の木像を安置した豊国神社に結び付けられたが、豊ノ本は古代地名であろう。

4. 中田ちゅうでん・田浦・江田・神田瀬 (N8−1)(N8−2)(N12-1)

これら田の付く多くの地名(N13)は、豊葦原の「水穂国みずほのくに」の称名たたえなから名付けられたものであろう。

5. 千代ちよ・千代ヶ丸・千代が原 (N7)

豊葦原の千秋長五百秋の水穂国(千年も五百年も豊かなみのりが約束された水穂国)を称える心から、千代(千秋長)・千代ヶ丸・千代ヶ原の地名が生まれたとみられる。

大国主の本拠地

6. 中津峯なかつみね (N11)

小松島湾のほぼ西方にそびえる。標高七七三メートルで阿波三峰の一つ。山頂に天津あまつ神社が鎮座し、出雲三十八社(主神大国主命)と后の須勢理比売すせりひめ命を祀る。大国主命を象徴する山である。三十八社を祀ることから「みわ社」と呼ばれる。「中津峯」とは、「長つ(の)峯」の意で、インド全土で崇拝されているナーガ(竜蛇神)に由来するとみられ、那賀郡も同根。大国主命の後裔氏族に和仁古わにこ長公ながのきみがみえるが、命の出自を表したものか。中津峯山頂から見降す、小松島市を含む勝浦川(N15)河口部が大国主命の本拠地である。

事代主命の本拠地

7.  勝占かつら神社

徳島市勝占町。勝浦川を挟んで小松島市に東接する標高七〇メートルの勝占山頭頂部に鎮座。式内社。事代主命を祀る神社の総元社。奈良県の率川阿波神社ほか事代主命を祭神とする多くの神社の元社で、事代主命の葬場跡とみられる。第一次・第二次の国譲り交渉は、その麓の小松島市中郷町で行われた。

天菩比命あめのほひの葬場

8. 御県みあがた神社

小松島市中郷町豊ノ本なかのごうちょうとよのもと

天照大神の第二皇子で、国譲り交渉第一の使者天菩比あめのほひ命を祀る。
阿府志あふし』(徳島藩の藩撰史書)には、「祭神一座天菩比あめのほひ命、…中原・清原を祀る。式内社。
秋篠・菅原四姓の元祖なり…社の後やしろのうしろにあたりて人家を経営することならず。たまたま営む者あれば一夜のうちに引壊れて残らずとなる。霊験殊にあらたなり。」とみえる。現在、豊国神社の境内に合祀されている。元社は現在地より約百メートル南に鎮座していたが、大正二年(一九一三)小松島港線の鉄道敷設のため移された。そのとき、境内の墳丘が壊され、勾玉や銅鏡が出土しているが、天菩比命あめのほひの葬場であったとみられる。現在元社跡には小祠が立つ。あがた(県)とは、境内が区切られた皇室の直轄地、または禁足地と表す語で、第一の使者として葦原中つ国に乗り込み、ついには一生をその地で終え、埋葬された聖地(禁足地)を表す神社名といえる。

天若日子命の葬場

9.  山方比古やまがたひこ神社

徳島市渋野町しぶのちょう高曽根たかそね

祭神 天若日古あめのわかひこ命。式内社。
国譲りの交渉第二の使者で、渋野町高曽根の山の端部、標高百三十メートルに鎮座。経塚大権現きょうづかだいごんげんと呼ばれ、積石塚つみいしづか古墳(天若日古)を祀る神社である。「山方やまがた」とは「山の方(高天原)から来られた」か「山の県やまのあがた」(山の尾根に葬られた神の禁足地)の意味であろう。

10. 尾羽丁(おばっちょう・おわばり)

勝占神社の北、方上かたのかみ町に「尾羽丁」の地名が遺っている。現在は「おばっちょう」と呼んでいるが、おそらく「天尾羽張神あめのおわばりのかみ」(おわばり)の遺称地名とみられる。天尾羽張神は、第三の使者建御雷之男たけみかづちのお神の父にあたる神である。

他に中つ国土着の神を祀る神社をあげる

11. 天王神社

小松島市田野町鳥居元

杉尾山に鎮座。祭神須佐之男命。大己貴おおなむち命。稲田姫命。
葦原中つ国で活躍した神の進行の痕跡か。

12. 出雲神社

小松島市立江町 祭神 大国主命

13. 八坂神社

小松島市大林町本村 祭神 須佐之男命

14. 杵築きづき神社

小松島市大林町本村 祭神 大己貴命(大国主命)

第三の使者 建御雷男之神(建布都神)の本拠地

15. 建布都たけふつ神社

阿波市市場町 式内社。全国一社。

この神の鎮座地の対岸(吉野川南岸)が、建御名方の支配地の諏訪邑すわむら(旧高石たかし郷)である。

16. 多祁御奈刀弥たけみなとみ神社

名西郡石井町諏訪いしいちょうすわ(旧高足たかし郷) 式内社。

祭神 建御名方たけみなかた神。大国主命の御子。
対岸の霊剣の神・建御雷男之神と闘って敗れ、諏訪の地にとどまる。
力競べをした地(諏訪邑)に鎮まる。

17. 関の大神宮(跡)

名西郡石井町関(旧高石郷)

祭神 沼江姫ぬまかわひめ命。建御名方神の母にあたる。

18. 天水沼間比古あめのみぬまひこ神 天水塞比売あめのみずせきひめ神社

二座 名西郡石井町関。式内社。
祭神天水沼彦・天水塞姫命。沼江姫命の父母神を祀る。

19. かも神社

三好郡三加茂町みよしぐんみかもちょう加茂

祭神 阿遅鉏高彦根あじすきたかひこね神(鴨の大神かものおおかみ)。式内社。
葬場は加茂山(標高三二〇メートル)の丹田たんだ古墳。大国主命の子で、国譲り交渉では、天若日子の葬儀の場に訪ねてくる。

以上、国譲り交渉の物語に登場し、活躍する神(七神)は、すべて式内社として阿波国に祀られている。また、その鎮座地は、それぞれ物語の舞台となっている。これは、記紀神話の舞台が、阿波国であったことを示す神蹟である。

葦原中つ国の主役となった大国主命・事代主命の首都以外での信仰の痕跡(式内社)を挙げると、

20. 八鉾やちほこ神社

阿南市長生町あなんしながいけちょう 祭神 大国主命 式内社。

21. 大御和おおみわ神社

徳島市国府町府中こう 祭神 大国主命 式内社。

22. 事代主神社

勝浦郡かつうらぐん勝浦町生夷いくひな 祭神 事代主命 事代主命の生誕地
生夷(エビス生まれし地)に鎮座。現生夷神社 式内社。

23. 事代主神社

阿波郡市場町伊月 祭神   (伊月)の事代主命 式内社。